<くまくま会へようこそ>

 ここは、「熊野大学聴講生による、熊野を語る東京の会」略称「くまくま会」の運営委員が立ち上げたホームページです。

毎年8月の第1週めの金曜日~日曜日にかけて、和歌山県新宮市にある温泉保養施設「高田グリーンランド」にて、二泊三日の合宿形式で”熊野大学夏期セミナー”が開催されています。そこへの東京からの常連聴講生たちが中心となり、ひとつ東京でも定期的に何か面白いことをやろうじゃないか,と結成したのが、この「くまくま会」なのでした。

 2012年12月の結成以来、年に3回くらいのペースで定例会を開催しています。このホームページでは、これまでの活動報告と今後の活動予告を中心に皆様へお伝えして参ります。運営委員が持ち回りで担当するブログのコーナーもありますので、何かの機会にでも覗いて頂けましたら幸いです。

<熊野大学とは何か?>

 中上健次という小説家がおりました。故郷・熊野を舞台に、濃密な時間軸と血縁・地縁の”熊野サーガ”と呼ばれる物語を展開した稀代の作家でしたが、1992年8月に肝臓ガンのため46歳の若さで亡くなりました。

 その中上健次が生前1990年6月に、故郷和歌山県新宮市にて発足させたのが、市民大学「熊野大学」です。”建物もなく、入学試験もなく、卒業は死ぬ時”を合言葉に、熊野を、文学を、世の中を、生きることを問い考え続ける講座です。

 中上健次の死後も、彼の志を継ぐ地元の仲間や中上に賛同する作家・批評家・文化人が集まり、毎年1回、和歌山県新宮市の温泉保養施設で「熊野大学夏期セミナー」が開催され続けています。日本全国各地から、老若男女が学びに集います。毎回、興味深いテーマが選ばれ、様々な顔ぶれの講師が登場します。二日めの夜は、講師,聴講生,熊野大学スタッフを交えての懇親大宴会が催されます。基本的に、翌朝まで続きます。刺激と魅力に溢れる、疾風怒濤の3日間です。

<中上健次について>

 1946年8月和歌山県新宮市の被差別部落に生を受けました。複雑な家系に育ち、高校卒業後、大学進学のために上京しますが、挫折。仕送りを受けながら新宿のジャズ喫茶などに通い詰めるフーテン生活を送る一方、同人誌『文藝首都』へ入会し創作活動を開始してゆきます。

 1976年に『岬』で芥川賞を受賞して、戦後生まれ初の芥川賞受賞者となりました。以後、『枯木灘』,『紀州 木の国・根の国物語』,『鳳仙花』,『千年の愉楽』,『地の果て 至上の時』,『日輪の翼』などの代表作を次々と発表して行きます。

 国際的な視野を持った人で、取材旅行やら講演やら、世界中を精力的に飛び回りました。一時期は、家族でロサンゼルスへ移り住んだこともあります。韓国への造形も深く、度々訪れ、親しい韓国人作家仲間を多く持っていました。

 全盛期は100kgを超す巨体で、毎夜原稿も書かずに新宿あたりを朝まで飲み歩き、酒場で編集者と大喧嘩したりと様々な武勇伝を新宿ゴールデン街に残しました。”中上健次は怖い人”というイメージを周囲の人に持たれることを、本人は楽しんでいる風でもありましたが、そんな表向きの強面とは裏腹に、実は人に対する細やかな優しさを秘めた人でもありました。