第6回目の例会のテーマは中上健次と村上春樹を取り上げ、同世代でありながらも二人を比較している研究が少ない現状から「禁じられた比較研究」のタイトルを掲げ、若手研究者の発表の場となりました。
島子さんは「健次の女たち、春樹の女たち―継続と断絶の相克―」の題で、二人の雑誌での対談や作品の享受のされ方を挙げた後、両者とも作品上での女性性の欠如を指摘されている点から小説における「女性論」を発表しました。二人は男女の表象(中上はお互いに別個の存在であり隠喩的で、村上はセグメントを用いた換喩的な表象)や男女の関係性(中上は連続するアナログ的関係で、村上は相手を数量化するデジタル的関係)に対称性を有しているとした上で、「女性蔑視」とさえ言われる二人の作品における「女性たち」の語られ方の研究を再検討し、新たな「読み」を提示する必要性を説かれました。
松本さんは「村上春樹と中上健次における『食』―ビール、コーヒー、甘いもの―」の題で、脇役である小説の小道具的な「食」、中でも「飲料」にスポットを当てた発表を行いました。村上の「缶」ビールに対する中上の「瓶」ビール(個人的に対する共同体的)、村上作品のビールからコーヒーを多用する変化(停滞からの脱却)、中上の「軽蔑」での甘いものとカフェインの使い方(前者は非現実を象徴するもので後者はそこからの目覚めを促すもの)といった分析を行い、まだまだ両者を「食」の切り口から論じる価値があるとしました。
今井さんは、中上研究と村上研究をとりまく対立的な環境を解説しつつ、中上の「岬」・「枯木灘」の続編関係と、村上の「1973年のピンボール」・「羊をめぐる冒険」が似ているという論が呈されました。それは、村上作品の登場人物「鼠」の行動は「僕」を自分の物語に沿って操るものであり、これは龍造が秋幸を自分の歴史物語にする試みと類似しつつも対照を成しているものであるが、その結末においては正反対であるというものでした。そして「父・なき・世界」の時代において、「同時代の風」を上手につかんだ村上と同時代ながらも「父」との葛藤を経て「村上のようになってしまった」後期の中上という分析もされました。
鈴木さんは「1980年代の健次と春樹」と題し、79年に作家デビューをし、当時の若者の疎外感を表現したとされている村上と、80年代に入って拡散する世界観を展開する中上の相違点と共通点を80年代という時代背景を絡めながら発表しました。ポストモダンやサブカルとの関係、お互いが持つアジアへの視線、作品における都市(場所)と地図について等が今後の研究対象になるのでは、との提示がされました。
発表者の発表後にはコーディネーターの佐藤康智さんと発表者を交えてのディスカッションが行われ、活発な質疑応答が展開されましたが、その冒頭で佐藤さんより村上が小説を書き始めたエピソードとして有名な「ヒルトンの2塁打」の検証がされました。78年の当時、村上は神宮球場でのヤクルト戦を観戦中にヒルトンが「左中間」に2塁打を打ち安田が完投したのを見て小説を書こうと思った、と村上龍との対談で述べているのですが、実際のヒルトンは「右中間」に打っていたことが当時のスポーツ新聞を資料にして明らかになったのでした。この事実には会場もドッと沸き、大変に盛り上がりました。
例会終了後は恒例の自己紹介の後、会場を移って懇親会が行われ、大いに飲んで語って盛況のうちに終了となりました。