和歌山県プレゼンツのトークショー。市川真人さんと中上紀さんによる、和歌山・熊野の魅力を語るという趣旨の対談です。途中から、蔦屋書店・旅行コンシェルジュを務める森本剛史さんも飛び入り参加して、賑やかに行われました。
話はまず、中上紀さんにとっての「熊野」と父・中上健次に関する想いから始まりました。子供の頃は、毎年夏休みの間じゅうずっと父の故郷である和歌山県新宮市に一家で滞在していて、熊野が聖地であるという意識はなかったものの、普通の田舎とはどこか違う海や山のたたずまいを感じ取っていたようです。父・中上健次からも、熊野とはどういう土地か,という話を説明された事はなく、ただその中に放り込まれて体で感知して行くという教育方法であった模様です。泳ぎを教えるときも、まだ幼い紀さんを連れて海の深い所へどんどん入って行き、いきなり「浮け」と投げ出して危うく沈みそうになるすんでのところで支えて助ける,というトラウマになりそうなエピソードを披露してくれました。そんな大変な経験をしても結局泳げるようにはならなかったみたいですが、父がそこにいる安心感,危なくなると受け止めてくれる存在であることを感じ、そこが聖地熊野のイメージと連動するとのお話でした。
紀州という土地の持つ不思議さに触発されてか、新宮市に古くから続く「火祭り」という奇祭についても言及されました。毎年2月6日に街中の男たちが白装束に松明を持って山の上にある神倉神社に集まり、日没後、松明に火を点けて山の上から先を争って駆け下りてくる,という勇壮な祭りです。1400年も続く歴史のある祭りで、新宮の男はおとなも子供もみんな参加する。この日は街全体がトランス状態に陥り、男性性・女性性が強く意識される祭りのようで、原初的な神聖さを感じさせます。
中上健次さんが立ち上げた「熊野大学」についても、当然のことながら話が及びました。中上さんの出身校である新宮高校というところは、実業家の成功者はあまり出ないかわりに写真家・小説家・詩人など芸術家の輩出が多いようです。日本の近代化システムである東京中心の産業化・工業化(≒実業家)に対するアンチテーゼとしての熊野大学の成り立ちと、これは無関係ではないようです。
「熊野大学夏期セミナー」のコーディネイターを務めたこともある市川さんが、セミナーに充満している熱気と魅力について、思いを込めて語って下さいました。聴講生同士が初日も二日目もろくに眠りもしないで、酒を飲みながら深夜に亘って繰り広げる文学談義の様子が秀逸でした。
中上健次と深い親交のあった講師陣(市川さんの師匠筋にあたる方々)たちの強い思いと支援があってこその熊野大学であることに感謝し、大切に振り返りながらも、これからの新たな熊野大学の在り方として、いつまでも中上健次ありきではなくその娘たる中上紀こそが今後を牽引して行く原動力となるべき時に来ている,との興味深い示唆がなされました。