2016年

12月

05日

追悼:石井泰四朗さんとのお別れにあたって

こんにちは、今回のブログ担当の大録です。いよいよ寒くなってきました。

さて、実は今月に入り、私たち会のメンバーにとって、とても悲しい事がありました。ブログの中で恐縮ですが、紙幅を割かせて頂きたいと思います。

くまくま会の会長、石井泰四朗さんが、11月10日出先の山梨県甲府市にて倒れられ、11月12日の土曜日、とうとう帰らぬ人となりました。 

あまりにも急なことに、編集委員一同、茫然としていましたが、石井さんが実現に奔走した今度の例会だけはきちんとしよう、と皆の思いがまとまりました。

 11月19日、第10回目を数える例会の当日は、奇しくも石井さんの告別式と重なることとなりました。

 直前まで本当にお元気で、会場の確保に調整に走り回り、飲み、語り、今回のお三方の研究発表を楽しみにしていた石井さんの姿を、19日の会場に見ることができないことが、不思議で仕方がありませんでした。

 会長としての石井さんは、誰に対しても分け隔てなく、太陽のように集う人を受け容れてくれる存在でした。

 中上健次も文学研究も初心者の私が、例会にしばしば通い、編集会議にまでお邪魔するようになったのは、石井さんを中心にして会に流れる「熊野的な」空気に引き寄せられたからだと感じています。

ほんのちょっとした話にも、石井さんが大きく顔をほころばせながら、「ほお、すごいなあ!」「いいねえ!」と打ってくれる相槌に、心をゆるませ、勇気づけられ、次も来ようと思えていました。そんな記憶があるのは、私ばかりではないと思います。

そんな大きな存在であった石井さんが、あまりにもあっけなく、旅立ってしまわれたように思い、未だ茫然とする気持ちが拭えません。

一方で、編集委員としては、石井さんの手元にあったくまくま会の連絡先リストをまだ引き継げておらず、連絡先を頂いている皆さま全員にお知らせすることができず、心苦しく思っております。このブログで初めてお知りになられ、驚かれる方もいらっしゃるかと思います。

くまくま会は、石井さんの遺志をできる限り受け継ぎ、今後も活動を続けて行く予定です。どうぞ、新年会や、次の例会には足をお運び頂き、石井さんの思い出を皆で語り合えれば幸いです。


末筆ながら、石井さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。

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2016年

10月

11日

こんにちは、今回のブログ担当の松本海です。

 

最近、「本が育てる街・高円寺」というプロジェクトに参加しています。どんな内容かと言いますと、本の力を借りて街を盛り上げられないか、というものです。

 

 

 

 例えば、高円寺のいろいろなお店に「交換棚」を置かせてもらっています。自分の家にある本を一冊持って行き、メッセージカードをはさむと、その本棚の本を一冊持って行くことが出来ます。

 

 

 

 今のところ交換棚があるのは、自転車屋、古本屋、カフェ、商店会事務所など、色々な場所にあります。高円寺にお越しの際はぜひ一冊本を交換してみてください。

 

 

 

 

 

 また、本について語り合うイベントも隔月ペースで開催しています。毎回、ゲストの出すお題にあわせて、初めて会った人たちで本について語らいます。

 

 

 

例えば第一回は、角田光代さんのだしたお題「恐怖」にあわせてみんな本を持ってきて、楽しく紹介しあいました。あなたなら何をもってきますか?

 

 

 

 

 

 

 

プロジェクトと並行するような形で読書会を開いています。忙しい人でも参加できるように、短篇専門の読書会です。

 

 

 

次回は10月22日12時から内田百閒「サラサーテの盤」を課題図書に開催します。

 

 

 

場所は古本を読みながらカレーやコーヒー、お酒や小説に出てくる料理を楽しめるコクテイル書房で行います。お時間あればぜひおこしください。

 

 

 

今まではこんな本で読書会やりました。

 

 

 

村上春樹「パン屋再襲撃」

 

山田詠美「眠れる分度器」

 

芥川龍之介「芋粥」

 

ゴーゴリ「鼻」

 

ゴーゴリ「外套」

 

宮沢賢治「注文の多い料理店」

 

宮沢賢治「セロひきのゴーシュ」

 

 

 

気になる作品はあったでしょうか。中上健次でやるなら何がいいでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 また、10月23日の昼からは、友人のゆりいか君と、ゴールデン街の「月に吠える」という文壇バーで、橋本治のテキストをもとに「文学史」を学ぶという会を開きます。もし興味ある方いましたら、文学史をもう一度学び直しましょう!(500円かかってしまいますのでご了承くださいませ)

 

 

 

 

 

 

くまくま会例会もありますし、今年いっぱいは、幸福なことに文学に埋もれていそうです。

 

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2016年

9月

18日

久しぶりに更新です(SK)

こんにちは。久しぶりに更新です。くまくま会定例会は、
いつもいつも日大G先生の多大なるご好意のおかげをもち
まして日大文理学部の教室をお借りして開催しているので
すが、今回はたまたま先生のご都合が合わなくなってしま
い、急遽別の場所を探すことになりました。
 当たり前のことですが、会場を借りるにはお金がかかり
ます。民間の会議スペースって、貸してくれるところはた
くさんありますが、ものすごく高いんですよね。いくつか
調べて、怯んでしまいました。公共施設の会議室は、リー
ズナブルではありますが、先着順の予約ですでに塞がっ
ている場合が多く、また借りるにも制約があって(参加者
の半数がそこの区民でなければならない,とか)なかなか
貸してもらえない。そんな小うるさいこと言って施設を遊
ばせておくより、希望者に気楽に貸してあげた方がよっぽ
ど公共の利に適うと思うのですが、「区民のための施設で
すから、区民の方を優先します。」と譲ってくれません。
改めて、G先生の有難さを痛感した次第でした。
 もう少し融通の利く公共施設はないものかと探していた
ら、千代田区立日比谷図書文化館でセミナールームを借り
られることが分り、慌ててWeb予約ページを開けると
殆ど全ての日の全ての会議室・貸ホールが予約済である中
で、11/19(土)の午後に、1つだけ空きを見つけること
ができました。当初予定日は11/12(土)でしたから、そ
の1週間後です。まるで、枠を空けて我々を待っていてく
れたかのような、絶妙のタイミングでした。
 細やかな幸運と皆さまのご好意に支えられて、くまくま
会は成り立っています。このつながりを大切にしたいと思
います。

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2015年

8月

30日

今回担当の編集委員の石井です。

1.おばあちゃんの飴玉二つ

大斎原の静けさの中にセミの声が森全体を包む。朝露の草を踏みしめながら。またあのご高齢の女性。なにやらお唱えをしながら、杖を突きながらいつものとおり。流された後のご神体(石造の小祠)に向かい深々とご挨拶をし、何やら長いこと祈っておられる。そして話しかけていられのが終わると、階段をひょこっとおり、その対にある忠魂碑にもお参りをされ、そして、敷地の周りの砂利径を独り言を、か、祈りなのか、ゆっくりと巡り始められ、僕の後ろに来られて、「はい、飴、飴」といいながら飴2個を差し出してくれる。有難く大事に持ち帰って自宅においてある。そして少しの間だけ、お話をさせてもらった。

今度の誕生日で100歳になられるとのこと。「眼も、足もここの神様のお蔭というか、40数年毎日、草取りなどお掃除をしてきたがゆへのご褒美か、元気にお参りができる恩恵を戴いているのだ」と。はっきりとした、上品な言葉ではきはきとほぼ東京弁のイントネーションでしゃべられる。お顔もとてもかわいらしく、とみに整ってラシャる。若かりし頃、遠く熊野詣での女御を彷彿とさせたであろうと心ひそかに思いつつ聴く。そして耳だけが少し聞き取りにくい以外はどこも悪くないので毎日ここにお参りに来て、1~2周この敷地の砂利道を廻ってから、そのあと帰るとすぐに新聞2紙に眼を通されるとのこと。「読むのは小さい時からとても好きだし、今はすぐ忘れてしまうけどね」と、屈託なく笑われる。この杖も孫たちが買ってくれて何本もあるので、使っている。ひょんなことがあって、「おばあちゃん」と孫の声が聞こえたり、「不思議なことが結構あるのよ、ここに来ると」と。毎日来られるのが何よりも楽しみで、雨でも来られるとのこと。

小生はほぼこの6年、2月のおとう祭りと8月の夏季セミナーに年2回は熊野に通い、そのたびに八木行の始発バスに乗り、大斎原と熊野本宮大社を訪ねてきている。

ほぼ2回に1回は、かのご高齢ながら妙齢なご婦人にお遭いしている。今回は結構長くおしゃべりさせてもらい、写真を3枚ほど撮らさせていただいた。

信仰心の自然さをいつも感じさせていただいている。またお会いしましょう。

2.同世代のこと

今回も小生を含め、60代以上の方が56人ご参加だったように思う。

今回、同室になったお二方は、和歌山市にお住まいの方であった。

限界集落18世帯の方々が企業の巨大産廃処分場建設の反対運動を4年以上も続けられていると、淡々と静かに運動といかに和歌山市民が危険に晒されるかを語るご夫妻にお会いでき、せめて、署名だけでもと、署名簿を預かってきました。よろしくご協力のほど。

もうおひとりは70代後半になり、中学までは新宮・丹鶴城のふもと、大石誠之助の近くで育ったとのことで、大逆事件のことはよく知っている。中上は読んだことはないが、これからと思い一念発起して初めての参加、と。最高に嬉しい限りの話は、参加案内状を見たら大宴会があると書かれていたので、自分が好きな芋焼酎を持ってきたと、大歓迎のお話しで、早速差し入れをしていただき、すぐに1日目の夜の風呂前の広場での宴会で皆してご馳走になったところである。さすがと、これは見習らわなくては。

「どこ竹和歌山」の竹とんぼ教室を主宰してラシャるということで、来年夏季セミナーで、竹とんぼつくりを教えていただく、お約束をしたところである。

また、一昨年同室であった大阪からの参加の方からは、「若い人が育ってますね。発表は良かったよ」と声を掛けていただきました。またこの4人の方たちとは来年もお会いしましょうと。

若い方たちとの交流はとみに楽しみの一つであるが、同世代や先輩の方たちとの交流も同時代を生きたという感慨があります。くまくま会においても同年輩の方、お二人都合がつかず今回は不参加でしたが、例会には顔を出していただいてます。年配者パワーも捨てたものではないですよ(笑)。

3.感謝

今回の夏季セミナーには熊野大学の関係者及びスタッフの方々には甚大なご配慮いただき、感謝に堪えない。4人の発表者の資料も用意していただいた。発表者各位もそれぞれが現在興味や研究中、これからのことも含め、短い時間ながらなかなかの報告ができたように思う。参加者の方々からの感想や批評などいただければ、今後の研究等の励みになりますのでお寄せいただければ幸いです。

 

最後に、ご案内の通り、次回の例会はかなり面白いと思います。

くまくま会の真骨頂かもしれません。乞うご期待とご参集を切に願います。


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2015年

7月

19日

皆様、こんにちは。(鈴木)

 皆様、こんにちは。今回のブログを担当します編集委員の鈴木です。

「さて、何を書こうかな~?」と思ったのですが、私は中上健次からちょっと離れて「食」に関することを担当の時にちょいちょい書いてみたいと思います。ちなみに、中上作品における「食」については、編集委員の松本海君が第6回の例会の際に、非常に見識ある発表をされたので、HPの「これまでの活動報告」をご覧ください。

 

 評論家の江藤淳は『夏目漱石』において、「漱石はノートや日記に料理や食べ物のことを書き付けている。これは日本の作家では珍しい!」という趣旨のことを書いています。この漱石論が書かれたのは昭和30年(1955年)のことです。敗戦から20年が経ったものの、まだまだ「男子厨房に入らず」といった風潮が主流を占めていた時代でしょうが、その一文を読んでいてふと思い出したのが、江藤のこの考えとは反対に、日記に食事を細かに付けていた時代小説家の池波正太郎のことです。池波の「食」に関するエッセイが絶品なのは有名ですね。江藤は昭和7年(1932年)の東京山の手生まれで父子家庭育ち、池波は大正2年(1923年)の東京下町生まれで母子家庭育ち、前者は学者として大学で教鞭をとる傍ら文芸批評や論壇での執筆活動を行い、後者は「丁稚奉公」の後に大衆演劇の脚本家を経て小説家へという経歴がこの違いに関係していることは明らかなのですが、この食べ物に対する姿勢の違いはそこだけなのでしょうか?個人的にすごく気になります。ちなみに中上健次も、母子家庭育ちで食べ物については小説やエッセイ等で言及していますね。もしこれが「母子家庭男子作家」の傾向だとしたら、なかなか興味深いものがあります(どなたかが研究してくれないでしょうか)。

 私たちは「生き物」として日々モノを食べないといけないのですが、これがなかなか厄介です。「もうカ○リーメイトでいいや!」とか「○ィダーインゼリーで生きていける!」とか「〈気〉だけで十分です」という奇特な人は置いといて、「食」には精神的な面も大きくかかわってきます。誰にでも「食」にまつわる悲喜こもごもの思いでやこだわりがあるからです。また、大人数が集まって飲食を共にするということは、そこに連帯感や絆を発生させます。熊野大学もくまくま会も宴会を大事にしているのはそれ故ですね。そして漱石や池波は、そういった複雑な人間の営みをリアルに作品に反映させるために「食」を重要視していたと考えられます。なんたって「食事」は、(普通は)一日三度も行ううえに、一生続く付き合いになる行為からです。ですので、「人間を描く≒食事を描く」ことになるのではないでしょうか。

なんて、今回は書いてみました。


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2015年

6月

21日

第7回 例会が無事終わりました。(大ろく)

編集委員の大ろくです。

先週の土曜日、第7回の例会をおかげさまで盛会のうちに終えることができました。

来て下さった方は、熊野大学の縁の方、様々な分野の研究者の方、ジャーナリストの方、文学を学んでいる学生さん(留学生の方もおられました!)・・・と、多岐に渡りました。

 

 講演は、かなりディープな研究の内容にも入っていたように思いましたが、皆さん真剣に聞いて下さり、活発な意見交換もありました。

 私自身は、若手のお2人が作っておられた細かい年表(日刻みの!)に、とても心動かされました。個人的な話で恐縮ですが、とくに今回佐藤さんが追っていた「1978年」は、ちょうど私の生まれる一年前で両親が最初の結婚生活を送っていた年でした。その一年を、今の私よりも若い31歳の中上健次は、熊野で「部落青年文化会」を作り、成田闘争に駆けつけ、右翼青年たちと語り、新道路交通法で息の根を止められそうになっている暴走族の若者たちに眼を注いで、駆け抜けていたんだな!と知り、ひそかに胸を熱くして聞いていました。

 つづく浅野さんの発表は、「異族」の夏羽とタツヤが置かれた状況を取り上げ、その「主体」と体験に深く入っていく事で、「1984年」を浮かび上がらせるものでした。かなり専門的な分析があり、ついていくのがやっとでしたが、文学研究と言うのはこんなに言語化できるものなんだ!という新鮮な驚きがありました。

そして、最後の中上紀さんは、熊野大学の変遷をざあっと一息に語って下さいました。とくに初期の濃密な時間のことは目に見えるようでした。話は最近の出版事情や翻訳の状況に移り、最新のイベントである、京都で行われた「中上健次ナイト」の話に。そこで紀さんが見せてくださった動画が、「やなぎみわのトレーラー(※)で、中上健次の歌う『アンコ椿は恋の花』のカラオケ(どこかで録音されていたらしい)に合わせ、ポールダンスを踊る」という極めて濃い催しで…紀さんのiphoneの画面に皆釘づけでした。

かくして、お借りした日大の教室の中、中上さんの熱唱が響きわたる不思議空間が出現したのでした(笑)。

実は私、中上さんの声を聞いたのはこれが初めてです。いろんな感慨がありましたが、長くなってしまうので割愛します。

 

 ともかくも、生きている時間はただ流れて行くけれども、ずっと後になって皆で振り返り話した時、ようやく「時代」という分厚く熱い流れが見えてくるのだな…と強く感じた一日でした。

 後日、当日の内容の詳しいレビューがアップされる予定です!お楽しみに!


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