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くまくま会での初めての試みとして、第9回定例会は参加型読書会を開催しました。課題本は中上健次『千年の愉楽』。順番に自分の好きな箇所を朗読した後に、感想を述べつつディスカッションをするという形式で会は進行しました。参加された皆さんそれぞれが『千年の愉楽』の新しい読み方を見つけられたようです。

 

なお、当日は通常の定例会のように記録音、写真撮影等々の記録ができなかったため、参加者の皆さんに感想や発表について等の投稿を頂戴し、今回の報告に換えさせていただくことになりました。

 

 以下、参加者の方々から寄せられた当日の感想等々です。(イニシャルで掲載しました)

 

 

 

●YIさん

 

◇読んだところについて

 

「カンナカムイの翼」の大逆事件に関してのエピソード的に挿入された一文。(個人的興味として中上は大逆事件をいずれどう描こうとしていたのかみたいなことを可能な限り探ってみたい気はしているのだが、数か所に記述がみられる)

 

まだ、かなり少ししか中上の作品を読んでいないので、お話するにはおこがましいが、「千年の愉楽」の6つの小説について、いろいろな項目を立てて、共通項や特異的なことなどを書き出してみて、相当の事項に渡って対になる言葉や事象などを対比する試みをしてみた。例えば、生と死それに伴う産婆と毛坊主(僧侶)、語り部(オリュウノオバ)と物書き(中上健次)、口承と文字など、切りがないほどの比較、対比の連続、不連続の中に物語を編んでいっているのではないかと。それは日本だけにとどまらず、世界に向けた発信等、中上ワールドの次へのステップへの助走を時には細密に時には大雑把に表現しながら、紡ぎ出しているのではなかろうかと。

 

それぞれの物語の結末というか最後の文章の切れの良さというのか、全く無味乾燥的な記述には驚かされたし、饒舌な中上としてはと思ったりしたところです。

 

◇会の感想

 

参加者11人。危惧していた通り、極端に言えば可なり無謀な全員参加型の読書会ではあったが、開けてびっくりというか、目から鱗の感じでもあった。それは、中上健次をそれぞれがどのような視点から、そして読むことの音の響きが何とも言えない情操を掻き立てられるかという新たな発見をさせてもらった。オリュウノオバに代表される口承文学の系譜を中上はこれらの熊野サガーに表出してきたのかもしれない。これを機に彼の作品の気に行ったところを音読してみようと思わされたところである。多分、中上は声もよいし歌もうまかったと聞いている。其の素養が口承の文化を文字化してきたのかもしれないなどとたわいもなく思ったりしているところである。

 

今回かなりどこを読んでも魅力的な箇所が多数あって、音読すると何とも言えない感じがしたし、その時、時間でなくページ指定にすればと思いつつ、結果的にはほぼそのような展開になり、一人の持ち時間は5~10数分以上で、皆さんのある意味では充実した時間と音読の響きと思い込みを聴けたという二重にも三重も楽しく面白かったという印象をいただいた。

 

 

●MOさん

 

◇朗読箇所 

 

河出文庫P197~198「ラプラタ綺譚」

 

新一郎の銀の河の夢と、南米からオリュウノオバにあてた手紙の下り。

 

◇発言

 

メタファーの力を実感できる作品。詩的。銀の河の意味合いが移り変わって行くことと、個人の成長過程が重なる。意味がひっくり返る動きが、随所に出て来る。新一郎から、無意識的な素材を投げ込まれても、一生懸命解釈してあげるオリュウノオバ。

 

◇会の感想

 

皆さんの朗読箇所・切り取り方が本当に様々で、面白かった。「ここは~のようだ」と、別の作家や音楽家の名前も飛び交って、世界が広がった。

 

 

●HKさん

 

有意義な午後のひと時でした。中上健次氏の遺産をくまくま会をはじめ後世が読み解くとともに、そうして得られた智慧を現在のみならず未来の私たちのために発信し続けて、いつの時代にも人が生きる上で、健次氏の生き様がそうであったようにアクチュアルなものとして機能するように私は願っています。

 

 

●ASさん

 

◇作品について発表した箇所

 

 「六道の辻」P49(河出書房文庫)

 

 「オリュウノオバは、白い背広を着て昼日中から人が見ていようがいまいが玉つき場の前で若い衆らを煽動するように腕をまくり上げ、ヒロポンを射っている三好のなんとも生きづらいと思っている気持をわかりすぎるほどわかっていた。」

 

◇なぜ、「六道の辻」を選んだか…

 

 ・三好がほかの中本の一統と比べると生きることを謳歌し ておらず、特異に感じられたから。

 

 ・『奇跡』への伏線があるから、ほかの章より、重要だと感じられから。

 

◇それに対する考え

 

  三好は他の中本の一統と比べると一番不器用な人間。

 

半蔵のように好色の道一本に決め、死を迎えたのでもなく、オリエントの康や達男のように新天地に野望をいだくのでもない。また、文彦の特殊な人物でもない。また新一郎のように盗人をしても、その仲間から騙されるだけで、三好は利用されるだけの人物。

 

  半蔵も達男も性の魅力に溢れている。 それに対し、三好はどこかに秀でた存在ではない。路地のどこにでもいる若い衆とも言える。それは、一人、「田口」姓を名乗っている からだろう。

 

  また、三好は中本のでもない連からも飯場にいかないなど一歩遅れている。

 

  だが、刺青を入れるなど極道的存在。つまるところこの三好こそが、『奇跡』と『千年の愉楽』を繋ぐ人物なのである。それは、白い背広や玉つき、ヒロポンという言葉が描かれていることからもいえる。また、盲いた三好を郁男が見つけることからもいえるだろう。

 

  そして、なぜ三好が生きづらさを抱えているかだが、先にも書いたように三好のみ「田口」姓であることから、中本の血筋を気に留めていなかったのではないだろうか。これは、三好の中本の血に対する反感であり、宙づりになった自身を表している。これこそが生きづらさの原因だ と考える。

 

◇印象・感想…

 

  音と文字がいかに中上文学にとって大事だったのか、今回他の方が挙げられた箇所を聞き改めて、気づかせられました。

 

  また、アイヌ語ですね。紀さんの仰られた「シンタ」という揺り籠の意味も含め、新たに、読む際の観点を発見しました。

 

そして、とても読みにくいということも!

 

  今回は参加者が少人数でしたが、少人数だからこそ今回のように各自が自分の考えを長々と述べられたのだと思います。

 

とても有意義で面白い時間でした。

 

 

●KSさん

 

◇皆さんから出された意見のメモ

 

・無文字文化、音と文字との関係を考えさせられる

 

・理屈無く読んでいて面白い作品

 

・テクストが共鳴しあうため、一部だけ取り出すことが難しく意味を持たない

 

・それまでの文体のリズムが急に変わる箇所がある(円城塔っぽいという意見が)

 

・若者の怒り、生き辛さの表現

 

・日本的文化が網羅されている→「路地」が舞台の『古事記』

 

・生と死、男と女等々の二項対立の散りばめ

 

・人間の感情に自然が重なる

 

・あらゆるものを全部取り込むエネルギーを持っていた

 

・マイノリティの横のつながり

 

・尾崎豊やミラン・クンデラを連想させる

 

・津島佑子の遺作『ジャッカ・ドフニ』にある「揺り籠(シンタ)」との関係

 

◇感想

 

 いつもの例会よりも参加人数は少なめでしたが、「読書会」という形態だと丁度良いのではないかな、と思いました(増えてもあと2、3人で限界のような…)。初回の様子見としてはとても充実していましたし。「『千年の愉楽』を読んで朗読をして感想を喋る」というハードルの高い課題を課しているので参加人数が少なかったのでは?と思われそうですが、実は当日は都内で多くの文学・文化関連の催しが開かれていたという背景もあるので、一概にそうとは言えないとも考えられます。ちなみに、私も行きたい行事や催しがその日に5つくらい重なっていました。

 

読書は一人で行う作業なのでなかなか他の方の読みや感想が共有できないものですが、このような読書会を開くと自分がこれまで考えもしなかった視点を教えてくれるので参加しがいがあります。今回も思いがけないような意見がたくさん出て、目から鱗でした。また、同じように「あぁ、○○さんらしい感想だな」ということもあれば、「あれ?○○さんはこんな考えを持っているんだ」と驚かされることもあるので、面白いです。私もいくつかの読書会に参加しましたが、いつも人が思い考えることのバラエティの豊富さに驚嘆します。読書会が廃れないポイントはここに尽きるのではないでしょうか。

 

研究者としては、紀さんが指摘された津島佑子さんの遺作『ジャッカ・ドフニ』との関係が一番興味をひかれました。文学上の「兄妹」として後年(晩年)の作品で拡散する世界観をお互いに提示したことは、何かしらの意図もしくは相互関係があったのでは?と思わずにはいられません。

 

 

 

以上が寄せられた投稿です。

 

以下に参加された方が朗読された箇所を載せましたので、参考にしてください。

 

(敬称略。「イ」はインスクリプト版『中上健次集第7巻』のページ、「文」は河出文庫版『千年の愉楽』のページです)

 

◇O.T

 

【半蔵の鳥】「半蔵は二十五のその歳で――、流れ出てしまったのは中本の血だった。」(イ:P26下段、文:P33)

 

◇K.S

 

【六道の辻】「路地の中で物覚えの良さは――どんなものかたずねたいとさえ思ったのだった。」(イ:P27~28、P37~38)

 

◇S.A

 

【六道の辻】「オリュウノオバは、白い背広を着て――生きづらいと思っている気持ちを、わかりすぎるほどわかっていた。」(イ:P35~36、文:P49)

 

◇R.K

 

【六道の辻】「赤ん坊は決して虫と同じものではないが、――自分を救けてくれる気がして気持ちが安らぐ。」(イ:P45、文:P62~63)

 

◇S.

 

【天人五衰】「路地でただ一人の産婆で――バンバイと声をあげる姿がみえた。それも新時代だった。」(イ:P89、文:129~130)

 

◇S.Y(

 

【ラプラタ奇譚】「新一郎は十二の時から親の家に寄り付かず――、御船漕ぎに加わって裸を町衆の眼にさらしている。」(イ:P124、文:P180~181)

 

◇Y.A

 

【ラプラタ奇譚】「それがよい徴候なのかどうか分からない。――となぐさめるのが常だった。」(イ:P124~125、文:P181)

 

【ラプラタ奇譚】「何しろそこは反対側の国だった。――混乱させていく以上にそこはリンネの国だった。」(イ:P138~139、文:P201)

 

◇O.M

 

【ラプラタ奇譚】「最初に新一郎からその話を聞かされた時、――盗人に入った時の店の図面と淫売宿と宝くじの番号。」(イ:P136~137、文:P197~198)

 

◇I.Y

 

【カンナカムイの翼】「オリュウノオバは考えつめ、――、戦争などいまさら恐れる事などなかった。」(イ:P152、文:P221~222)

 

◇N.N

 

【カンナカムイの翼】「二人は町がはるか遠くになるまで走り続けた。――達男は山の草の上に坐った。そうして夜を待った。」(イ:P161、文:P234)

 

◇朗読者が不明ですが……、

 

【天狗の松】「正月といえば二カ月も先からそわそわし、―――文彦を思い出して腹立ちをなだめるのだった。」(イ:P68、文:P98~99)

 

【ラプラタ奇譚】「オリュウノオバは或る時こうも考えた。――、無限に無数に移り変る時季そのものだと思っていた。」(イ:P123、文:P179)

 

【ラプラタ奇譚】「《太陽が昇る東の国から――夢中で舌を出して蜜をなめすった》」(イ:P127、文:P185)

 

 といった箇所も挙げられました。

 

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